こんにちは。スーザ(@ouchidesugosou)です。
絵本の勉強のため、児童文学を支えてこられた方々の著書を読んでいると考えさせられることがたくさんでてきます。今日はそんなモヤモヤの1つを文章にしてみました。
人気言われている絵本だけど…
絵本について勉強するにつれて、ショッピングセンターなどの書店の絵本コーナーに並んでいる絵本に疑問を抱くようになりました。
- 絵が可愛らしいだけの絵本
- しつけのために作られた絵本…「◯分で寝かしつけできる」「歯を磨いてくれるように、片付けができるように」など大人の意図が含まれている
- 大切なことを茶化し、ごまかすような表現がされている絵本
- 音や光の刺激で子どもたちを惹きつけている絵本
そのどれもを完全に否定するわけではないけれど、子どもと一緒に楽しむ、子どもの心に影響を与えるという視点で絵本を考えた時に、どのように作られた絵本なのかは一番大切な部分なのではないかと考えています。
そんな時、松居友さんの『わたしの絵本体験』読んでいて、心の中で感じていたモヤモヤを、全て友さんが言葉にしてくださっていると感じました。
松居友さんとは…帰国後、福武書店児童書部の初代編集長をつとめる。フィリピン・ミンダナオ島で「ミンダナオ子ども図書館」を主宰。 当初はドイツ文学の翻訳、評論などを執筆し、のち独自の児童書を刊行する(wikipediaより)。松居直さん(福音館書店現相談役)のご子息。
少し引用させてもらいます。
絵本というもののとらえ方も、今はずいぶん人によってちがうようになりました。保母さん方は、絵本は幼稚園や保育園で使う教材の一種とかんがえていらっしゃるかもしれません。また、若い女学生にとって、絵本は、ファッションの一部であるかもしれません。また、画家にとっては一種の画集のようなものであり、若いイラストレーターにとっては、何か新しい可能性を持ったイラストレーションの表現手段に見えるかもしれません。
絵本のとらえ方が変わって来れば、当然絵本の見方選び方も変わってきます。保母さん方は、多くの子どもを楽しませ、できれば劇遊びやお絵かきなどに使える絵本を求めることでしょう。反面ただ子どもがじっと聞き入っているだけの物語は、反応や成果が表れないので敬遠するかもしれません。
また、若い女学生は、色がきれいでファッショナブルな絵本を求めるのかもしれません。これは、若い保母さん方や、お母さん方にも言えることなのですが、編集する方の側からちょっと意地悪に言いますと、絵本は、内容が乏しくとも、色彩をあざやかにして、少し可愛らしさを加えると、なぜかけっこう売れるのです。これは、絵本を選ぶとき、内容よりも、色のきれいさや可愛らしさで選ぶ人がいまだに多いことを示しているようです。
こうしたさまざまな観点から出される絵本に対する概念のほとんどは、絵本を制作したり与えたりする大人の立場から論ぜられて来たように思えます。その結果、絵本ブームが起こりはしたのですが、その結果、逆に受け手の子どもたちの心から離れ、保育教材やファッション、画集やイラストといった作る側である大人の概念のわく組みの中に押し込まれてしまったように見受けられます。
子どもだからこういう子ども向きの絵がいいだろう、こっちの可愛らしい絵の絵本の方がよさそう、まだ小さいから字の少ない絵本がいいだろう、片付けの絵本を読んだら片付けるようになるかも…
これらは全て私達大人が勝手にそう思っているだけであって、「子どもはこんなもんだろう」「子どもにこうなってほしい」という勝手な考えを押し付けているだけなんですよね。
でも子どもたちが求めているものって、もっともっと別の所にあるようです。
子どもは、ずっしりと胸にひびく生きた感動を求めているのです。本物の感動を求めているのです。子どもだましに語られる大人の言葉を求めているのではありません。心から語られる真実の言葉を求めているのです。
イラストを仕事にしている人の表現の場として作られた絵本。
子どもが歯を磨くように、片づけをきちんとするように。しつけのような意味合いを含ませて、絵本を読んで聞かせることでそれを身につけさせようという意図をもって作られた絵本。
人の生死に関わるような大切な問題をはぐらかして笑いで伝えようとする、子どもの心を軽く扱いすぎている絵本。
このようにして作られた絵本を果たして子どもたちは心から求めているのか…。子どもたちの心の奥底に響くのかは甚だ疑問です。
何でも素直に見られる、感じられる、感動出来る、今しかない子どもたちの幼少期。そんな大事な大事な期間に、子どもたちが心から求めている言葉、物語を届けてあげられるよう、これからも絵本を学ぶことを続けていきたいと思います。
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